成河さん福士さんペアと、松岡さんと山崎さんペア観に行きました。
何回か観てるのでいい加減この脚本の主軸について考えっか〜と思い立ちました。
韓国版の主軸は分かんないんですけど(心理戦?かな?)、少なくとも日本版は「歴史の中に埋もれた事実は今や誰のもの」があるのかな?と。
そもそも一般的に事実は当事者たちのものなので、事実の所在なんて分かりきってるんですよ。
ここであえて「誰のもの」と言っているとこがひっかかるというか問題提起だと思うんですよね。
2018-2019の時は、事実を陪審員たちは知らないまま、「私」だけ事実を手にして出所する?とも思っていたので(明らかに陪審員を馬鹿にした態度をする、そもそも得体の知れない人物なのでどこまでが本当か分かったもんじゃない)
今年はもうちょっと教訓めいていて、そんなに陪審員馬鹿にしてませんしそれなりに社会生活送ってそうなので、事実は「私」と「彼」の間のものかな?と思いました。ただそれは普通のことなのであえて言う必要が無いんですよ
とするとあとは観客かな〜
こうやって戯曲化され、ある程度事実が変質してしまった形で私たちが観ているというメタい視点があるんじゃないかと。
2021年はラストのスリルミーで暗転するまでの間で「私」が客席を見て驚く表情をするんですが、そういうメタ視点(「私」が観客の存在に気づく)があるような気がします。
それ以外何に気がつけばいいのか分からないんですよね…演劇的に奥に「彼」がいても舞台面の方向に駆け出して「彼」のとこに行こうとする表現方法でも良いわけですし。最後に役者の顔見せて幕させたかったらこういうのもありだと思うんですけど、そうしないんだったらメタ視点なのかな〜。
あと何回も足を運ぶ理由が、この脚本の行く末が気になるといいますか。演出家の栗山さんの舞台が見たいというのもあるんですけど。
浅はかな方向に消化されるか、観客がそれぞれ当時の出来事抱えながら生きていくかとか、観客に色々委ねられている内容だと思います。
何回か言われてますが、物語のウェイトとして死刑制度の是非に重き置いたりやりようは色々あるんですよねこれ。
あと脚本の流れ?について。
この脚本の盛り上がり方(主に私だけかもしれない)って、子供殺した後とか電話のシーンの「緊迫感」なんだと思うんですよ。雑にキスシーンで盛り上がるとかじゃないのでタチが悪い(分かりやすい盛り上がりシーンでは無い気がする)
「緊迫感」って騒ぐだけだとひたすらうるさいだけなので、張り詰めるところと爆発するところの塩梅が難しい。
「彼」役と「私」役がどの歌詞で息吸ってどこの歌詞で息思いっきり吐き出すかの塩梅で単調にもなるしそれこそ「緊迫感」が出るのではないかと。
そして散々ドタバタしたあとにやってくる「99年」でどれほど落ち着かせられるかですね。難しい〜。
よく言われる、高!低!緩!急!使い分けオンパレードです。役者さんって凄いや(他人事)
あと地味にあの脚本場面転換多いじゃないですか。100分のうち何回場面転換するんだっていう。怒られるぞこの回数ってくらい。
色々試行錯誤した結果栗山演出のあの抽象舞台がまあおちついてるのかなと思います。いちいち装置転換してたらそれだけで時間かかるしまどろっこしいし。
あとこの舞台ってどういう話?って聞かれたら
「未成年児童誘拐殺人事件だよ」って言います。
謳い文句にに「究極の愛」ってあるときもありますけど、仮にも究極の愛だとしても人殺しちゃいかんだろ。いや一線を超えるほどの愛だったとかそういうことなんでしょうけど。
でも人殺しのアンサーとして「だって愛だったから」って違うだろう。
愛ゆえに止められなかったってそれは力関係の問題にもなりそうなんですよね。惚れた弱み。結局はどちらが主導権を握っていたか、握られていたかなのでは。
とまあこうやって真実探ろうとする行為も真実は誰のものーってなるんだろうなあ。
あと栗山さん高低差で立場を表すの好きでこれもそれが発揮されてましたね。契約書シーンでやっと2人が台の上に登って同じ高さにいます(と思ったんですがバードウォッチングのときも2人とも台にいるときがあったんですよね…まあいいか)
契約書でやっと対等な関係になったのが分かりやすい。
そして今回観たペア両方とも身長差があるので、見た印象から力関係がわかりやすい。
とくに契約書のシーンで「私」が椅子に座って「彼」が契約書を書くように台の上から指示する姿がなかなか威圧的にうつります。
おおかた全体的なことは書いたので各ペアの感想
成河・福士ペア
2018年の狂気を味わいたくて観に行ったら、思ったより2人とも人間になっていました(成河私:あまり鬼気迫らない、福士彼:感情がちょこちょこ出る)
あと今回後述の松岡山崎ペアもそうなんですけど、眼鏡落としたのが故意か怪しい。
2018年は焦る表情無く眼鏡を探してましたが、今回は普通に焦っていたような。
とすると、ここの歌詞の意味が変わってくるんですよ
禁じられた森?の
「理由といえばそれは彼とともに生きていくため」
前回(2018-2019年)だと、眼鏡を探すときの表情が無表情(焦っていない)、そもそも得体の知れない人物であることが端端から分かるので、割と早くから「眼鏡はわざと落としたな?」ということが分かります。なので、彼を重罪を侵すまで焚き付けて一緒に終身刑になってともに生きていく意味にとれたんですが、
今回だと、眼鏡を探す時に焦っている、前回よりも社会生活をそれなりに送ってそうな人物と見て取れるので、彼の言うことに従わないと彼と一緒にいられないからエスカレートしていく罪を止められず、結果重罪を。となるんだろうかなと。
割とスリルミーの歌詞ってミスリードというかダブルミーニングっぽいのが多い気がするのでどう取るかで印象が変わってきますね。
まあその印象を決めるのが役者の演技なんですが。
このペア役柄としては全然会話のキャッチボールしないんですが、役者同士のキャッチボールは上手い。
電話のシーンの後半慌ただしくなるところ、あんなに慌ただしくしておきながら相手のセリフをより緊迫させつつスピードアップしていく職人芸。ここ滑ると滑りっぱなしなので難しいところです。
あと全体的に成河私の感情の純度が低めかなと思いました。まあ前回が純度高すぎて社会生活送れてるのか不安になるぐらいだったんですけど。
それに対して福士彼は相変わらずクソ野郎まっしぐらなのでなんとも言えない気持ちになりますね。司法取引を取り下げるように交渉するときもただ媚びてるだけですし。あいつ自分の保身しか考えてないぞいいのか。
あと福士彼はイマイチ彼自身にストーリー性が見えない。とりあえず弟が憎いことだけは分かるけど、父親のことはどう思ってるんだろうか(弟のことを回り回って父親に認められたい欲になりそうだけど、それにしても弟への憎しみが強すぎる)
そして成河私はそれを分かってて話題に弟を持ち出すんですよね。どういうコミュニケーショの取り方してるんだ君たちは。
このペアの「99年」のハモリはいいですよねー哀しげ。
松岡・山崎ペア
23歳と25歳かーわっっっっっっかいな!!
というかここペア観た後の第一の感想も
「わっっっっっかいな」だったんですよね。
松岡さんはところどころ成河私の演技を彷彿とさせるところがあり、後々聞くと色々参考にしてたみたいですね。観客には(も)バレてるぞ☆
あと公園ファイトのときに彼に胸ぐら掴まれると身長差の関係でちょっと浮きます。
ちょこちょこしていて早口めで小回りが効く。
ただ彼を見てる割には彼の感情に疎いんですよね〜若いな〜!!!!!
山崎彼、超人というより年相応の家族愛を求める青年の顔もちらっと見せるので、そこの塩梅が良かったですね。若いな。
若い若い言ってるんですけど、「若さってなんだ…?」となり、いざ考えてもよく分かんなかったので、宇宙警察ギャバンの主題歌を思い出したんですよ、「若さ若さってなんだ振り向かないことさ(ためらわないことさ)」
たしかに若さって振り向かないしためらわないし!!ノンストップダッシュでお互いの思いやりが不十分なまま駆け抜けていった松岡山崎ペアでしたね。
もうちょっと演技の掛け合いしっかりくるといいんですけど、これも若さなのかな。