年々か前に就職活動の面接で頻繁に聞かれた
「趣味に観劇とありますが、その好きな理由とは何でしょうか」
という問いになかなかうまく答えられなかった。
(返答を準備しておけというところではあるのだが)
時たまぼんやりと考えるが、あまりにその項目が多く、多重構造になっていることに気が付いた。
・文語体で書かれる戯曲の言葉の独特さ
近年では口語で書き口語で演劇をするところも多いし普通になってきたが、
ある程度昔の、それこそ書籍の形で戯曲が残っているものは文語体で書かれているものも多い。文語で会話させるのでテンポが日常会話と異なったり、異様に仰々しくなったりするが、その独特な違和感もならではで好きだ。
・平面の舞台を立体的に見せる匠の技(舞台装置)
八百屋舞台だったり、高さをつけて奥行を表したり
・照明
ドラマとはまた異なる、黄色であったり青を使って心情を表現したり。単純に舞台を照らすだけではない表現がある。
などなど、書き連ねるときりがない。
ミュージカルでも、曲調であったり、重唱がかっこいいとかこれまたいろいろある。
上記はわりとドラマや映画と差別化できる事項でもある。
ただ何が一番かと言われれば返答に困る。
これに伴いいわゆる「推し」の俳優ができる理由もなんとなく考えていた。
「推し」にもいろいろあり、単純に顔が好きな部類だったり、声質が好みだったり、歌唱力があったり、堅実な演技をする人だったり。
舞台はドラマや映画とは異なるところは多々が、
「演じる」というところは共通である。
少し考えてみたが、舞台の特徴、「カーテンコール」※ないとこもある
が私が演劇を好きな理由かもしれない。
カーテンコールは公演終了後に役者が多くはそのときの役の衣装のまま舞台に上がり、一礼、時間等々によっては挨拶もある。
厳格な父親役であった俳優が、子役と仲がよさそうに舞台上に戻ってくると
IF世界を観ているようでほっこりすることもある。
おおらかな役柄だった人がわりと神経質そうな、せっかちそうな歩き方やしぐさをしていると少し驚くこともある。
私はこのような役柄と役の際を観るのが好きなのだ。
「一人の人間が他人を演じる際に自己の共通点や差異を考え、その役をおろしてくる」
この一連の作業の隙間を覗くことが好きなのだ。
一例を考える。
基本的におっとりしていて、のんびりとした性格の役者が、神経質な人役を演じるとする。
まず「神経質な人間とはなにか」を考える必要がある。
例えば目の周りが常に強張ったような表情筋の動きであったり、
歩き方にしても、ゆっくり歩くよりは少し小走り程度が良いかもしれない。
歩く時の体の動かし方も、上半身を揺らすよりも動かさないほうがいいかもしれない。
視線もぼんやり眺めるように見るよりは一直線を凝視するように見たほうが良いかもしれない。
「神経質」といってもすべての事柄において気にする人なのか、ある一点のみで異様に固執するのか、そのあたりも考えなければならない。
「性格」というのはその人のこれまでの人生であったり考えた方であったり環境で合ったりで形作られるものと思っている。
「性格」は言葉遣いや仕草に現れる。言葉遣いは戯曲に指定されているので、役者はそこから仕草を構築していく。
「その人」はこれまで本人がどう生きてきたのかと自己紹介をしているようなものではないだろうか。
私たちも初対面の人に対する印象を決める作業も似たようなもので、
どういうところを見ておおらか捉えるか、どこで偏屈な人だと捉えるか。
会話の内容や言葉選びも重要ではあるのだが、それに伴う視線や仕草も判断材料にしている。
仕草一つ一つの積み重ねがその人の性格を想像させる。
私は舞台を観るときもそのような作業をしている。
おそらくのんびりとした性格の役者は、歩き方から視線の動かし方から、何から何まで日常で過ごす自身の動きとは真逆の動きをすることになるだろう。
神経質には共通解があるが、そのエッセンスは役者自身の人生観であったり、周りに神経質な友人がいるなど環境による影響もある。
「演じる」というのはその役者が「どのような生き方をしてきたか」
というところに直結すると考えている。
また、「その役者がどのような仕草を神経質と受け取り、役に取り入れるか」
の取捨選択の過程も非常に興味深い。
どこに価値を置き、どこに価値を置かないかというのがはっきりするからだ。
(演出家の指示による可能性もあるので一概に言えないかもしれないが)
私は演劇を通じてその役者の人生や人生観を知りたいのかもしれない。
なので演技が好きな「推し」を何人か思い浮かべると、演じた役そのもののインパクトもあったりはするが、その役を演じる上での演技の所作の取捨選択のセンスが好き。
というところもある。
たまに、この推しは好青年の役が多いと感じることもあるし、その演じる好青年はだいたい共通点がある。
おそらく、自身が考える「好青年」にある一定の考えがあるのだろう。
推しの舞台(それぞれ違う公演)を何回か観に行くと、そのような共通項がみれて新たな発見であったり、役作りに確信が持てたりする。
なので推しの役者のインタビューも非常に興味深い。
舞台に関するインタビューや自身の経歴に関するところでその役の構築過程を創造できるからだ(もちろん想像にとどまるしかないところはある)
ダイレクトに影響された文学作品があるとか、そういうのもあるかもしれない。
例えば何かしら芸術作品を作れという課題があるとすると、粘土で作るのか、ガラスなのか、はたまた絵画で日本画か油絵か。それぞれ選択するには理由がある。
「これでしか表現できないから」
「いままでやったことがあるから」
「やったことが無いから挑戦してみた」
演技でも近いものがあると思う。
その役柄を作り上げる過程を覗ける貴重なものだ。
と、長々と書いたが、一人の人間が数時間、他人として生きるための過程を創り上げるその作業を覗くことが舞台の一つの魅力ではないか。
うん、うまく書けないかったですね!!
とりあえず考えたことをまとめてみました。