いつものように衝撃の赴くまま書いてるのでまとまりは無いです。
梅田芸術劇場 シアタードラマシティにて
「イーハトーボの劇列車」ぶりの井上ひさし作品。
井上ひさしの作風は「昭和の日本」の懐かしさがある(私は平成生まれではあるが)
人々の繋がりがまだ強く、閉塞感はあるものの希望を持ち続けていた時代である。
「人情」、「繋がり」、「希望」そのあたりがキーワードな気がする。
過去のものになってしまった「昭和の日本」、今の、未来私たちや顔の知らない誰かにとって過去であることは事実であるが、時代を振り返った後に、たしかに存在していたんだと感じることができる。
過去であってもそこには人間の笑い悲しみ等々自然な感情がある。
それは井上ひさしの力でもあり、演出の栗山民也の力でもありそうである。
今回の舞台装置はほぼ平面ではあるが、中央と角に少し段差がある。
栗山民也は僅かな段差でもそこに意味を持たせるのが得意なのではないか?と終盤の警官と多喜二の姉らとの会話のシーン。
警官は姉らとは目線が一段下がった場所にいる。現実では平地であろうとこだがそこは演劇的なとこで、警官が意を決して事実を伝える場面で姉らの目線と同じ高さにやってきてから話をする。
その感情の同等、多喜二への想いは同じであるということなのではないだろうか(あくまでそう思っただけなんですけど)
とまあなんかそんな感じで栗山演出みたいな書いてみたんですけどめちゃくちゃたくさん観てるわけでもないのでなんとも言えないんですけどね!なんとなーく栗山文法がみえたようなそうでないような…と。
はーい以下井上芳雄さんのこと書きます
芳雄さん、生で観たのはアルカディアと今年のエリザベート くらいで、テレビでバラエティとかグリブラで拝見。
貴族とかとりあえず日本人以外が多いし、なにより井上芳雄オーラがめちゃくちゃ分かる。
そんな印象だったので、小林多喜二も芳雄ナイズされてるのかと思ってたんですけど、全然そんなことなかったですね。
冒頭の高校時代の多喜二、あの男の人だれ…?ってなったくらい芳雄さんオーラが無い…(あのオーラ消せるんだなという気づき)
ただ警察居候させてるときはイメージの芳雄さんっぽかったです。なんだろうあのシーンが唯一?くらいに生き生きしてるシーンだからだろうか。
あとあのお方180cmくらいあると思うんですけど、多喜二をしてるときは日本人の平均身長くらいのちまっと感。オーラを消せる井上芳雄…
昭和の時代を生きた男の井上芳雄…
物足りないなーではなく、堅実なやくづくりだったのではないでしょうか。
影のある役良いって聞いてたんですけどその通りでした。
多喜二の最期、近くにあった棒を手に取り、ホリを白くして影のようになって去っていく多喜二…あのシーンの情景めちゃ綺麗かっこよかった…
あと別件ですけど独房のシーンのときに舞台機構が完全にスリルミーのあれでしたね…あれ好きなのかな…