劇場:新歌舞伎座
井上ひさし脚本を観よう!をテーマに探していたら丁度良いタイミングで公演がありました「イーハトーボの劇列車」
宮沢賢治はまずは地元をイーハトーボにすべく農民に尽くすがどれも失敗に終わってしまう。
考えること考えること農民思いではあるものの家が裕福なので農民の立場にいられない。
前半、福地(三菱に勤めているエリート)が農村の歌を作ったがそれに宮沢は
「農村に広場なんてあるものか、あんたは農村のなにをみてきたんだ(うろ覚え)」
と言うが、後半に警官に言われる
(宮沢がチューリップを植えれば気分が華やぐなどと言ったときに)
「チューリップを植えたらその土地に野菜は植えられない、食うものが減るんだ、あんたはそれがわかっちゃいない(うろ覚え)」
この対比がいい。
昔に非難したことをされる側になっている。
宮沢は農民のために色々なことを取り組んでいた説明が入る。しかし東京に上京して金に困ると父親に工面してもらっている。農村でも楽団をとか、芸術面の発展を目指すが、農民は明日の食いぶちに困っていることに目を向けれていない。
なぜなら宮沢は裕福だからだ。
これはままありそうなことで、人々を動かせる金を持っている人は往々にして動かされる立場の人ではない。
でもそうも言ってはいられず。宮沢なりに色々苦労はしたんだろうなあ。
松田龍平が宮沢賢治を演じていたが、とても不器用そうな青年だった。
発音は少しばかり不明瞭だし、言葉の間が伸びがちでなんとなく頼りないようにみえる。
でもそんな不器用な青年は人々の幸せのために生きているのがなんかいいんだよなあと思う。
あとは劇中で渡される「思い残し切符」
(宮沢の知り合いかと思いきや)知らない人が死ぬ前に思い残したことがあったときに誰かに切符が渡される。
その思い残し切符は車掌が持ってくるのだが、車掌のカバンに付いている鈴の音がとても綺麗だった。
東北の冬の空に響くような澄んだ音でとても気に入った。
色々な人が各々思い残して亡くなっていた。
そして最後には人々の思い残し切符を客席にばらまく。
私たちが彼彼女らの思い残したことを受け継いでいく、そんな終わり方だった。
あー劇が始まってすぐのセリフが好きだったんだけどーーーーーーーうろ覚えすぎてここに書くのは申し訳ないくらい…
あと、あととても詩的だけどしっかりしている井上ひさし脚本好きという収穫はとてもでかかったです。
はい!!いつものような断片的な感想でした!!
そしてここからめっちゃローテンションなこと書きまーす。
社会人になって今年で2年目になりました(いきなり)
周りの人たちに迷惑をかけつつなんとなくお仕事をこなしてはいる日々なんですが、
漠然と生きてる意味がわからなくてですね。
いや大学生のときもなんとなく生きてきたし、高校生のときこそ人間関係とかに悩んでたけど演劇でそれどこじゃなかったし生きるって考えることなかったんですけど、
やっぱり仕事しないと生きられないわけで。
でも仕事のために生きたいわけでは毛頭ないわけで。
生きるついでに仕事をしているのに仕事のウェイトがなんとなく思いのに違和感がある。
かといって好きなことをして生きていくほど才能が無いと高校時代に気がついたわけで、大学時代に研究員になる頭も無いなと気がついたわけで。
無難に会社員(技術職)になっているわけで。
なんとなく生きていくには技術職は割と大変なのかなあと思っていたり。
でもそれ急ぎの仕事だよねわかる!!わかるよ!!
でもなんとなく仕事してまで生きたくないなあと思ってみたり。
まあなんやかんや言いつつ演劇観たいから生きてることが過半数なのかなあとか。
あとは友人に自分の葬式に来てもらうの忍びないなあとか。
私は、友人みんなの葬式出て、みんなを見送って1人寂しく死ぬんだ…友人の誰かが最期まで生き残って寂しく死んでいかないように私がその代わりになるんだとか考えたりそれもやや支えであったり。
舞台鑑賞が趣味だと半年先にも予定が入るのでおちおち死ねないし、推しができれば推しより先に死ねないなあとか、
気鋭の演出家を見つければその人の大成を見届けたいし。
生きるのめんどくさいなあとか考えていた矢先にこの話をね、観た訳ですよ。
漠然と生きていこうと思ったね。
みんな何かしら抱えて生きてるし、何かしらで重い半ばでいなくなることもあるし、私はまだまだ健康体なのでしたいことや出来ることも沢山あるし。
私は死ぬ前にどういう思い残し切符を残すんだろう。
誰かの思い残しを私は叶えられるかもしれないし。
いつのまにか誰かの思い残し切符を受け取ってるかもしれないし。
生きなきゃなあ。ぼんやりとでもいいから生きていこう。